シーニュ(記号)と広告の関係

■ シーニュ(signe=記号)と広告の関係

「シーニュ」とはフランス語で「記号」という意味です。
記号論によると、signe(シーニュ=記号)はふたつの要素からなっています。signifiant(シニフィアン=記号表現・意味するもの)とシニフィエ(signifie=記号内容・意味されるもの)です。例えば「犬」ならば、シニフィアンは「inu」という発音の音声であり、シニフィエは「ワンワンほえる生き物」という聴覚映像のことになります。日本という文化の中で「犬」という言葉(=記号)がまずあって、それを「inu」と読み、「ワンワンほえる生き物」などの意味が存在するということになります。
では、それが「野良犬」の場合、どうでしょう。
「norainu」という音声と「ワンワンほえる生き物」という聴覚映像は変わりませんが、だれでも同時に「怖い」や「可愛そう」などのイメージを抱くと思います。その時、signifiant(norainu)とsignifie(ワンワンほえる生き物)が全体として意味するものになった上で、さらにその全体に対しての意味されるもの(怖い・可愛そうなど)がイメージされるという図が浮かび上がってきます。その全体の意味するもののことをdenotation(表示義)、意味されるものをconotation(共示義)と言います。
これらをふまえることにより、現代社会の商品に対する広告がどのような機能を持つのかも明確になってきます。
革製で30,000円のバッグがあるとします。そのバッグの広告である消費者の目に触れる部分はコピーとビジュアル(signifiant)であり、その裏に制作するにあたっての商品コンセプト(signifie)があります。
そのバッグの広告がスーパーのチラシに「たくさん入ります・便利」と野菜とともに配置された写真で載っていても、流行を追っているファッション雑誌に「モデル○○のお気に入りバッグ」と人気モデルとともに写っている写真で載っていても、革製で30,000円のバッグという商品情報(denotation)は変わりません。

しかし、的確なコピーとビジュアル、商品コンセプトを練ることによって、そのバッグに対するイメージ(conotation)は変わってきます。そうやって、イメージを喚起させることで、他のバッグとの差別化を図っているのです。
先程の例で考えると、「野良犬」と書いてある文字の下に、雨に濡れたつぶらな瞳の子犬が描かれていれば、たいていの人は「可愛そうだ」と思います。その図が、人を追いかけまわす大型の土佐犬だったら「怖い」というイメージを抱くでしょう。そうやって、自分の伝えたいイメージをコントロールすることが、ある程度は可能です。
イメージはそれを感じる側の人、すなわちその人のおかれている文化に影響されるものです。ですから、その文化のことをよく観察し、感じていなければ、決して的確な広告は作り出せません。純粋な芸術作品のように作る側の感性だけが評価されているのではないのです(だから芸術作品の善し悪しは明確につけられないのであって、その作品が何を言いたいか、という点ではさまざまな解釈が可能といえます)。文化の中でイメージと関連するコードをふまえないことには、広告として人に何かをイメージさせることはできないのです。
もちろん、デザイナーやコピーライターに感性が必要ない訳ではありません。その感性というのは、いわゆるセンスが良い・悪いではなく(センスとはあまりに主観的でしかない)、今まで生きてきた中で社会を観察し続けてきた姿勢の結晶のことであり、彼・彼女らは無意識にその社会のコードを身につけ、蓄積させてきたのです。
以上がおおまかな「シーニュ」と広告に関する説明です。
つねに社会を観察し続ける目を持ち続けること、studio-signe の名前の由来はそこにあります。